革命的非モテ同盟によるSEALDsへの「追悼文」
2016年8月15日、一つの大きな茶番が幕引きを迎えた。
世を騒がせたSEALDsの解散である。
彼等の壊滅は必然であった。
彼等は潰えるべくして潰えて行ったというのが、我々革命的非モテ同盟の見解である。
ただ、方方で叩かれているような彼等の政治的主張や活動の稚拙さこそが壊滅の原因だというありふれた主張をここでしたいのではない。
大言壮語に見合った政治的成果を挙げられなかった事や、主要メンバー内での内ゲバが発生したという噂などよりも、我々から見てもっともっと重要な原因がある。
では彼等が壊滅したのは何故か。
それはSEALDsが盛んに平和を唱えておきながら、組織内においては非モテにとってまったく平和的ではない雰囲気を作っていたという度し難い矛盾を孕んでいた故であると我々革命的非モテ同盟は主張する。
SEALDsのデモに実際に参加した方の証言に曰く
「先頭に立ってマイクで発言をさせてもらえるのは主要メンバーの身内か、いかにもリア充的な風貌の人間に限られており、風貌が冴えない人や雰囲気が暗めの人は前に出て来ようとするなという空気、無言の圧力が明らかに充満していた。そういう非リア充的な人達はいかに知性や考えがすぐれていても決して自分の意見を主張させてもらえる事は無く、スピーカーなどの音響機材を運ばされる等の裏方的な仕事ばかりやらされた」と。
つまるところ、SEALDsという組織の中に、リア充偏重、そして非モテ階級の人間を重用せず、あまつさえ重労働にこき使うという極めて抑圧的、差別的な状況が存在したのである。
非モテであるために発言の機会を与えられない、これを差別と言わずに何と言うのか
非モテに対し極めて抑圧的な雰囲気を漂わせている、これを構造的暴力と呼ばずして何と呼ぶのか
そしてこのような矛盾を孕む団体に、平和を主張する資格があろうか
このような馬鹿げた不合理を抱えた団体の主張が説得力を持つはずもなく、まして社会変革運動などは夢のまた夢だ。彼等が何ら成し得ること無く消えてゆくのは避けがたい宿命であったとさえ言えるだろう。
確かに彼等の活動が注目を浴び、一瞬の輝きを放ったであろうことは認めよう。しかし、そんな彼等のうたかたの繁栄すら常に非モテの犠牲の上にあったという事実を、我々は決して忘れてはならないのだ。
哀れなるSEALDsよ、今はただ安らかに眠れ。
とは言え、おそらく諸君らは何度でも墓場から蘇るであろう。
しかし、そこにまたしても非モテに対する構造的暴力が内包されていたならば、我々革命的非モテ同盟もまた不屈の闘志を以って何度でもそれを糾弾し続けるであろう。