ハロウィン粉砕パーティー2016(※仮装禁止) 活動報告

 皆様こんにちは、革命的非モテ同盟です。冬の音が聞こえる中いかがお過ごしでしょうか。御風邪など召されておりませんでしょうか。我々としてはぼちぼち戦いのシーズン開幕だなという心持ちで闘志を湧かしている今日このごろであります。

 さて、去る10月29日、我々革命的非モテ同盟はハロウィン粉砕パーティーを敢行いたしました。

 ここのところ「最近リア充どもがハロウィンの日に渋谷で暴れるなど調子に乗り始めている、お前たちの力でハロウィンを何とかしてくれ!」という、我が国における新たなリア充イベントとして定着しつつあるハロウィンを粉砕してほしいという請願が大変多く寄せられておりました。そこで我々としてもその声に答えるべく何とかハロウィン粉砕デモを開催する道を模索したのですが、諸般の事情によりデモが敢行できない運びになってしまったため、会場を借り切って非モテ同士が盛り上がりリア充に対する呪詛の声をあげることでハロウィンを粉砕するという方式へ転換しようという事になって誕生したのが今回の企画であります。

 会場をお貸し頂いたのは「イベントバー エデン」様。東京メトロ有楽町線および副都心線要町駅から徒歩10分のところにある閑静な住宅街の中に佇む小さなバーです。こちらは仕事や人生に疲れた人だけに来店資格がある「疲れたバー」や、大学を卒業したものの職にありつくことが出来ない人が集まる「大卒無職バー」といったユニークな企画をはじめ、イスラム法学者中田考氏やひかりの輪代表の上祐史浩氏といった他ではあまり聞けないような方の講演会を開催するなどしておられる実に個性的なバーとして知る人ぞ知る存在のようでして、我々のようなキワモノ団体による今回の貸し切り企画の依頼も快諾して頂けました。この場を借りて御礼申し上げます。

 パーティー当日は開店時刻である17時の時点で既に数名のお客様がお見えになり、18時半頃には店内が満員になる大盛況の様相を見せました。ハロウィンや恋愛資本主義に対する多大な違和感という思想を共有した方同士、店内の至る所で活発な意見交換や交流が行われていた様子でまさに開催者冥利に尽きるというものです。また、当日はテレビ取材の方もお越しになり、多くのお客様がインタビューに応じておられました。こうした形で今回のハロウィン粉砕パーティーの開催が我々革非同だけでなく多くのお客様にとっても意見発信の場になった事は誠に喜ばしいことであったと感じております。

 そして開店から3時間ほどが過ぎ参加者同士の会話で店内が盛り上がる中、「カボチャ粉砕式」が執り行われました。これは忌まわしきハロウィンの象徴であるカボチャを革非同代表のMarkWaterがナタによって叩き割るという今回のパーティーにおけるメインイベントであります。

 MarkWaterが近所のスーパーで購入してきたやや小ぶりなカボチャがまな板に乗せられると「恋愛イベントに依存しなければ行きてゆけぬ愚かなリア充どもめ!」「リア充を砕け!」「リア充死んでもらうぜ!」「リア充腹を切って死ぬべきである!」といった義憤の声が浴びせられます。そしていよいよ全ての非モテ同胞達の夢と希望と怒りとを乗せた正義の刃がMarkWaterの手によって振り下ろされると、哀れリア充の象徴たるカボチャは真っ二つにかち割られました。

 響き渡る万歳三唱の声。更にインシャラー!マンセー!など思い思いの勝鬨が上がり店内の熱気は最高潮に。かくして我々革命的非モテ同盟は見事ハロウィンを粉砕せしめたのでありました。

 真っ二つになったカボチャについてですが、半分は薄くスライスして炒め物に、もう半分はバター風味の煮物に、そして種は塩味を付けて炒めることで酒の肴にと余すところ無く調理されてお客様に無料で振る舞われました。リア充はの象徴たるカボチャは無残にかち割られたのみならず我々によって完全に喰らいつくされたのであり、まさに革命的非モテ同盟がハロウィンに対し完全勝利をおさめたのであります。

 今回は冒頭に記した通りやむを得ずデモではなく粉砕パーティーという形式を採ることになりましたが、ご来店いただいた皆様、そして我々と志を同じくする全ての非モテ同胞の皆様の協力によって無事にハロウィンを粉砕することが出来ました。厚く御礼申し上げます。来年以降がどうなるかは全く未定ではありますが、万が一ハロウィンが墓場から蘇って来るような事があれば、どのような形であれ我々は必ず立ち上がりカボチャを叩き割るまで戦い抜くでしょう。我々革命的非モテ同盟の魂は常に全ての非モテの皆様と共にあり、いかなるリア充イベントに対しても決して戦意を衰えさせることは無いでしょう。

 次はクリスマス粉砕デモで皆様のお目に掛かれることを楽しみにしております。

『ルポ 中年童貞』に対する革非同的雑感 〜中村氏の経験を通し、見えてきた本当に必要な社会制度と再確認された我々革非同の存在意義〜

 皆様こんにちは、ご機嫌いかがでしょうか。自称「すべてのモテない人々のための心のセーフティネット」こと革命的非モテ同盟です。
 さて、この度(先日漫画版でも出版され話題の)中村淳彦(2015)『ルポ 中年童貞』(幻冬舎新書)を拝読いたしましたので、革非同として思う所を二点ほど書き連ねたいと思います。

 まず一つ目の意見ですが、本書において中年童貞の具体例として登場している人物はほぼ全員発達障害等の疾病を抱えていると思われるという点です。我々が彼等に直接会って話をしたわけではないので確証はもてませんが、本書内に登場する彼等の性格を評した記述、たとえば「スイッチが入ると、話が止まらない」「空気を読むとか、相手の顔色を窺うことは一切しないタイプのようだ」「子供の頃から融通が利かず正義感が強い」「プライドが高く、一般的な客観性などまったくなかった」といったものはいずれも発達障害等の特徴を良く示しており、可能性は極めて高いと考えます。そしてその疾病故に社会では生きづらく、女性とは関わりづらく、多くの良質なコミュニケーションを要求される恋愛などもってのほか、そして結果として中年童貞へと「転落」していったというのが彼等のあらましであるように思います。つまり彼等は「中年童貞である以前に何らかの疾病状態」と言われるべき状況の可能性があるのです。

 そしてもしそうであるならば、中年童貞の問題は極めて複雑なものになると言えるでしょう。何故ならば、発達障害等の疾病は根治が見込めず、それ故に単純に彼等への人格非難を行いその矯正を求めるといった態度では決して解決しない問題であるからです。

 なお、誤解を避けるために記しておきますが「中年童貞問題とは疾病が関わる事なので安易に語るべきではない」というようなタブー視を志向するという意味ではありません。問題の解決を図るならばそのような事情も踏まえた上で考えてゆくべきではないかという事です。
 具体的な解決策を挙げるとすれば、本文に登場したネット右翼中年童貞の宮田氏が指摘していたベーシックインカム(著者は「極端な制度」と疑問を抱いていましたが)などは有力な手段となりうると考えます。
 発達障害等を抱えるなどして、過剰なコミュニケーション能力を要求する現代の労働市場に適合できない個人の立場からすれば、生活のためとは言え明らかに自らに不向きな仕事を無理に続けることで心身に負担をかけ、やがて破滅してしまうというリスクを回避出来ることになりますし、労働市場の側からすると、個人が無理に働かずとも良い環境が出来ることで労働に適合出来ない人物が労働市場に現れず、人材のミスマッチで発生する諸々のリスク―本文に登場した坂口氏のような人物が引き起こすトラブル―を回避できる事になりましょう。労使双方にとってこのようなメリットの有る方法として、ベーシックインカム論には一考の余地があるのではないでしょうか。

 最後に記しておきますと、実のところ著者は上で述べたようなことは承知の上である、つまりモテない人達の問題の根底にあるのが発達障害等である可能性が高いということを理解している上で、デリケートな問題へと発展しがちな「発達障害等の疾病」への攻撃を忌避すべく語感として攻撃しやすい「中年童貞」というカテゴリーを創り出したのではないかとも我々は推測しております。
 著者が意図的に「発達障害等の疾病への攻撃」から「中年童貞への攻撃」に照準をずらしているかどうかは検証不能なのでこれは単なる憶測に過ぎないのですが、いずれにせよ中年童貞とは発達障害をはじめとする難解な精神疾患を原因としているケースが決して少なく無いと想像される以上、単に感情論的な批判を行っているだけでは問題の解決に資さないのではないかという点は重ねて指摘致します。

 次に二つ目の意見ですが、そもそも中年童貞である現状を無理に「改善」する必要があるのだろうかということです。僭越ながら本書を読んだ限りでは、中年童貞から抜け出さなければならない客観的な理由を見出すことは出来ず、単に彼等に対する不快感や嫌悪感をにじませただけの言説に陥ってしまっているように感じられました。それは著者の雑感の範疇に留まるものであるならば構わないのですが、彼等に恋愛や結婚を強いる理由には値しません。あまつさえ本書にも書かれているように「本人たちはいたって幸せそうだった」のであれば、なおさら現状を「改善」する意義が無いと感じます。

 加えて指摘しますと、著者はオタク産業やAV産業といった産業が中年童貞の人生を型にはめ込んで消費活動を支配されている構造に不快感を抱いておられるように受け取れるのですが、しかし果たしてその事が、非モテの消費活動をリア充のそれに比して程度の低いものと見做して良い理由になりうるのでしょうか?我々非モテの立場からすると、恋愛や結婚やその後の家庭生活といった「型」に我々の人生を無理やりはめ込もうとする構造にこそ悍ましい―そして恐らく著者が中年童貞(非モテ)に抱いているであろう物と同じような―感覚を覚えます。社会において典型的人生として想定されている恋愛、結婚、出産、マイホーム購入、子供の入試等々、これらとて人生をはめ込む立派な「型」であり、この分野に関わるビジネスの数や経済規模の巨大さはオタク産業やAV産業の比ではないでしょう。つまり人生を型にはめ込まれて消費活動を支配されているのはリア充界隈とて構造的には同じであり、規模的には非モテ界隈より遥かに巨大なのです。

 殊に恋愛行為が、資本主義的な市場競争原理に取り込まれてしまう状況は本田透がその著書『電波男』において「恋愛資本主義」として提唱した通りです。また「オタクコンテンツがセーフティネットになっている」という本文における指摘は、本田の言う「萌えによる恋愛市場からの脱却」と地続きになっています。このセーフティネットを中年童貞から剥奪し彼らを恋愛市場に放り込むことに何の社会的意義があるでしょうか?

 「恋愛や結婚をしない自由というものを尊重しないのは差別的なのではないか?」

 この個人の自由と多様性を尊重すべき社会では、そう問うことに社会的意義があると言えます。そこで最もひっかかるのが本書の最後のページに書かれた「生物的、社会的、人間的、産業的に死を迎えることはあってはならない。“個人の自由”を超えて優先して考えられるべき事案である。」という文です。もちろん加藤智大のように無差別殺人事件を起こし凶悪犯罪者に身を落とすことで社会的自死を選ぶような事は論外でありましょうが、苦手で仕方がない恋愛も結婚もしないで社会にもできるだけ関わらないという「緩やかな社会的自死」を選ぶ自由までもが認められないというのであれば、我々非モテにとってはあたかも国家社会主義国に生かされているかの如き耐え難い息苦しさを感じることになるでしょう。そしてこのような非モテ、中年童貞の価値観に不寛容な空気がある限り、我々革非同は、恋愛や結婚をしない自由を勝ち取るための活動を続けてゆくことになろうと確信します。

 労働に不適合な人間がうまく労働市場に参入“しないで済む”ベーシックインカムを「制度としてのセーフティネット」として推進すべき意義があるのと同様に、恋愛に不適合な非モテがうまく恋愛市場に参入“しないで済む”社会の推進、言わば非モテダイバーシティ社会の実現を求める運動体として革非同は存在する意義があります。運動体であり続けることが自称「心のセーフティネット」たる所以です。

 以上の二点を革非同からの感想および意見とさせていただきます。
 本書は中年童貞の可視化という問題提起とのことなので、この度はそれに対し多くの非モテや中年童貞を知る団体である革非同としての意見を提示させていただいた次第です。主張の随所に拙いところがあろうかと思いますが、今後ともご活動を継続されるとのことですので何らかの参考にして頂ければ幸いです。

革命的非モテ同盟によるSEALDsへの「追悼文」

2016年8月15日、一つの大きな茶番が幕引きを迎えた。
世を騒がせたSEALDsの解散である。


彼等の壊滅は必然であった。
彼等は潰えるべくして潰えて行ったというのが、我々革命的非モテ同盟の見解である。


ただ、方方で叩かれているような彼等の政治的主張や活動の稚拙さこそが壊滅の原因だというありふれた主張をここでしたいのではない。
大言壮語に見合った政治的成果を挙げられなかった事や、主要メンバー内での内ゲバが発生したという噂などよりも、我々から見てもっともっと重要な原因がある。


では彼等が壊滅したのは何故か。
それはSEALDsが盛んに平和を唱えておきながら、組織内においては非モテにとってまったく平和的ではない雰囲気を作っていたという度し難い矛盾を孕んでいた故であると我々革命的非モテ同盟は主張する。


SEALDsのデモに実際に参加した方の証言に曰く
「先頭に立ってマイクで発言をさせてもらえるのは主要メンバーの身内か、いかにもリア充的な風貌の人間に限られており、風貌が冴えない人や雰囲気が暗めの人は前に出て来ようとするなという空気、無言の圧力が明らかに充満していた。そういう非リア充的な人達はいかに知性や考えがすぐれていても決して自分の意見を主張させてもらえる事は無く、スピーカーなどの音響機材を運ばされる等の裏方的な仕事ばかりやらされた」と。


つまるところ、SEALDsという組織の中に、リア充偏重、そして非モテ階級の人間を重用せず、あまつさえ重労働にこき使うという極めて抑圧的、差別的な状況が存在したのである。


非モテであるために発言の機会を与えられない、これを差別と言わずに何と言うのか
非モテに対し極めて抑圧的な雰囲気を漂わせている、これを構造的暴力と呼ばずして何と呼ぶのか


そしてこのような矛盾を孕む団体に、平和を主張する資格があろうか


このような馬鹿げた不合理を抱えた団体の主張が説得力を持つはずもなく、まして社会変革運動などは夢のまた夢だ。彼等が何ら成し得ること無く消えてゆくのは避けがたい宿命であったとさえ言えるだろう。


確かに彼等の活動が注目を浴び、一瞬の輝きを放ったであろうことは認めよう。しかし、そんな彼等のうたかたの繁栄すら常に非モテの犠牲の上にあったという事実を、我々は決して忘れてはならないのだ。


哀れなるSEALDsよ、今はただ安らかに眠れ。
とは言え、おそらく諸君らは何度でも墓場から蘇るであろう。
しかし、そこにまたしても非モテに対する構造的暴力が内包されていたならば、我々革命的非モテ同盟もまた不屈の闘志を以って何度でもそれを糾弾し続けるであろう。

既婚者は家庭不和のツケを他人に回さないでください

日本人の残業、元凶は「家に帰りたくない」人たち - 日本経済新聞 電子版 (全文閲覧には無料登録が必要)

 残業したがる人間は、家に帰っても妻子と顔を合わせるのが気まずいとか、旦那に食事を作るのが面倒であるといった「ろくな事がない」と感じている人だという内容。これは既婚者に限ったことではないと記事の中では自分磨きに疲れた女性の例を上げて指摘しているが、やはり周囲に及ぼす悪影響の大きさは「家に帰りたくない既婚者」の比では無いだろう。絶対数が多いであろうし、特に既婚者の管理職がダラダラと無意味な残業をするといわゆる「付き合い残業」を増やす原因となるからだ。
 言うまでもないことだが我々非モテが、家庭構築に失敗した負け犬既婚者の勝手な都合に振り回される必要は皆無である。勤労者非モテ同志は心のなかで思い切り舌を出して速やかに帰宅しよう。
 堂々と帰ることが出来ない家、何年のローンを組んで買ったんでしょうか
 帰宅をはばからせている妻や子、手に入れるためにどれだけお金や時間を投資したのでしょうか
 家庭を持つことで仕事の生産性にどれだけ悪影響があるのでしょうか
 日経さんには経済紙らしくこの辺りについても分析して欲しいですねw

どうせ結婚しても男性は不幸なのでは

未婚男性の「不幸」感が突出して高い日本社会 - ニューズウィーク日本語版

 「未婚だから不幸」なのではなくて「結婚なんぞ出来ないくらいにカネがないから不幸」なのでは。また、先に挙げた日経の記事に見られるように結婚したことで不幸を感じている男性の方が多いような感があるので、未婚であることを不幸感の根拠に据えているこの記事には大変な違和感を覚える。

満員電車に乗ることがますます馬鹿らしくなってきた

「匂いを嗅いだだけ」で痴漢に? TV番組元鉄道警察の説明に「戦々恐々」の人たち - J-CASTニュース

 古代ギリシアの詩人アリストファネスが書いた『女の平和』という作品がある。
ペロポネソス戦争に嫌気が差した女性たちが男性に対してセックスストライキ(要するにヤらせない)をおこなうという話だ。
 これを参考にして『男の平和』ってのをやってやればどうか。
 つまり、あまりに痴漢冤罪のリスクが高まりすぎた満員電車での通勤に嫌気が差した男性たちが一斉に鉄道会社に対して嫌がらせをしてやるのだ。集団で線路上を歩いて通勤したり、いっそのこと電車を使った通勤自体をボイコットしたりといった手段を取っても良いだろう。
 それくらいのことをやって一泡吹かせてやらなければ社会も鉄道会社も男性の悲痛な声に耳を傾けないのではないかと悲観している。